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↑ 何故かネガカラーフィルムで撮影した写真が出てきたが、20数年で色落ちと変色が激しく、修正を掛けても厳しい。但し、もう1機のAH-1Sの番号が73472であり、2002年の参加部隊が第2対戦車隊である事が、写真から読み取れたのが良かった。
↑ TOWは左右のロケット推進薬噴出孔からオレンジ色の炎を出しながら最大3500mなら約21秒掛かって到達する。その間、機体を敵に晒す事にもなるので、初弾の一発必中が必須である。初弾が万一はずれた場合、同じ場所からの攻撃は自殺行為となりかねない。
↑ TOWを発射するAH-1S。TOWの有効射程3500m前後であるから、ソ連製のシルカ対空砲の有効射程2500mや携帯型対空ミサイルの有効射程4000mの脅威に晒されやすい。其の為、木立ちの裏に隠れ、ミサイルを放つときはヘリをホップアップして短い時間でケリを付けなければいけない。AH-1にとって、地形を利用したそのような訓練が一番重要なはずである。
↑ 起伏のある富士山の麓で、設定された目標に向かい2機のAH-1Sは、低く低く近づいていく。こういう地形での機動飛行は、アメリカのヤキマ演習場での陸自ヘリの動きもビデオで見たが、見事である。恐らく技術的には米軍に勝る技量を備えていたのでなないか・・・2002年9月
↑ 2002年4月に開催された霞ヶ浦分校創設記念日に再び現れたシャークマウス付のAH-1S/73475、大塚譲氏撮影。2000年の時と目の書き方が異なっている。霞ヶ浦分校ではこの後にも何度かシャークマウスの機体を創設記念日に披露しており、これを目当てに訪れるマニアも増えたそうである。2002年のこの塗装もプラモデルになってフジミから販売された。
Page-9 (2002~ )
前年の2001年にアメリカで同時多発テロが発生して、ブッシュ政権は報復措置の準備に入って行った。日本も小泉首相が国際貢献を推進してゴラン高原等に加え東チモールへの自衛隊の派遣や、反テロ活動の一環で洋上でのアメリカやパキスタン艦艇への給油活動を行っている。そう言えば石破ゲルが9月に防衛庁長官になり、軍事オタクのゲル長官と呼ばれていた事を思い出す。この時はまだ評判は悪くなかったのね・・・私はこの年の暮れにC国派遣の命が下り、単身赴任でC国に旅立つ・・・3年ぐらいで日本に帰れると思っていたが、長い長い駐在生活となり、自衛隊機撮影に関しては、2003年を起点に私にとっての「失われた20年」が始める事となる・・・とほほ
Insignia of 3rd ATH
↑ 同じく松野氏撮影による高遊原でのAH-1Sの機動展示飛行。第3対戦車ヘリ隊のAH-1S/73468 (2004年4月25日撮影)
↑ 2004年4月 松野主税氏が高遊原分屯地で撮影された第3対戦車ヘリコプター隊のAH-1S/73406 6号機。
↑ 2004年10月に松野氏が芦屋基地で撮影された第3対戦車ヘリ隊のAH-1S/73440 40号機。
↑ 20㎜機関砲の連射が終了し、速やかに場所を移動するAH-1S/73483。第2対戦車ヘリ隊のようである。2002年9月
↑ 私のとって3度目となった東富士演習場の2002年総合火力演習。今回は仕事ではなく、応募に当たった友人が所用で行けなくなり、チケットを譲ってくれたのである。折角なので陸自出身の父と共に観客として参加した。テクニカルPAN-Xを入れて、初めての白黒写真での総火演参加となった。どういう訳かネガカラー写真も残っており、恐らくフィルムが足りなくなって現地で調達したのかもしれない。忘れてしまった・・・・